人生は一気になんて変わらない。
「そんなこと分かっている。そんな美味しい話のほうが怪しい。」
と、あなたは言うかもしれない。
でも、すぐにでも人生を変えたいと思う時、または借金まみれで1万円でもいいから友達に貸して欲しいと思う時、僕たちの思考回路はショートする。
素人でも3ヶ月で100万円を稼いだ方法とか、
100%勝てるカジノの必勝法とか、
高校生でも1億円稼いだ方法とか、
ふつうの精神状態であれば、絶対に反応しない内容なのに、苦しい状況になると、「もしかしたら…」とか、「1%でも可能性があるのなら…」と思って足を踏み入れてしまうのだ。
もし、あなたが今、この記事を読んでいる最中にも、このよう「人生一発逆転」という幻を信じている人がいたら、次のような雑誌の最後の方にある怪しい広告
を信じてしまっているのと同じ状況であることを想像してみてほしい。
こんなの買う人に対して、「馬鹿だな〜」って思うでしょ?
でもね、人間は苦しくなるとわらにもすがりたくなって、こんなバカみたいなことを信じてしまうんだよ。
それでも、あなたは
「こんな胡散臭い広告と私の知っている情報を一緒んしないで!」
「私の情報はGoogleも投資している案件なんだからぜったいに大丈夫」
「努力もしないで、こんなの買えばいいと思ってるやつが終わっている。」
と思っているかもしれない。
という人は、損する前に一度でいいからこの話の続きを読んで欲しい。
努力をすれば大丈夫ということすら、もはや危険な罠があるからだ。
メンタルをこれ以上消耗しないために、たった5分で読める内容なので「くだらない」と思ってでも読んで欲しい。
これからも一生「言い訳」をしながら生きていくのか…
「なぜ、あんなに努力したのに勝てなかったんだろう?」
「なぜ、最後の最後に、あんなミスをしてしまったのだろう?」
「なぜ、やりたいことを我慢して、親や先生のためにも頑張っていたのに…」
「なぜ、神様は僕にこんなひどい仕打ちをするのか?」
なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、と自分を責めた。
僕が高校3年の時、幼稚園から始めた柔道でインターハイ予選の優勝候補となっていた。
県で一番練習していた自負もあったし、実際にそうだった。2年の時は決勝で1年先輩に負けた。
今年は絶対に自分だ。
毎日そう思っていたし、むしろそのプレッシャーが重く、負けた夢を見て、目が覚めた時に涙がこぼれていたこともあった。
が、運命の神様は僕に微笑んでくれなかった。
全国大会出場を目指していた僕は、なんとベスト8で負けてしまったのだ。
10年間以上続けてきた努力をすべて否定された気持ちになった。
しばらく誰とも口をきくこともできず、自分の殻にこもっては自問自答と愚痴をこぼし続けた。
「なんのための10年間だったんだろう。」
「何も残らなかった。」
「こんなに頑張ったのに報われないことがあり得てよいのだろうか。」
「なんで俺より練習してなかったやつが全国大会に行くんだよ。」
「こんな結果になるのであれば、柔道よりも自分が好きなサッカーとか野球をやりたかった。」
しかし、「なぜ、なぜ、なぜ」と自分に自問しているうちに、そんな自分が虚しくなってきた。
というのも最終的に行き着くのは言い訳だったからだ。
「そもそも僕はこの競技は好きじゃなかった。」
「親がやって欲しいと言ったからやっていただけだ。」
実際にはそうだった。
ものごころついたころには柔道をやっており、とちゅうで何度か柔道じゃなくてサッカーや野球がやりたいと相談した。
しかし返ってくる返事といえば
「そんな中途半端でいいわけないでしょ!最後までやりきりなさい!」
と、怒号が飛び交うだけだった。
さらに先生にもセンスがあるから続けるように説得された。
親に見捨てられるのが嫌だったし、先生の期待を裏切るのも悪いと思い、そのあとも柔道を続けたのは僕の責任だ。
本当に嫌であれば、部活に行かないことも、道場に行かないこともできた。
家を飛び出すこともできたし、非行に走ることもできたはずだったからだ。
結局はなんだかんだ自分の意思で、自分の足でその場所までいっていたのだから。
それでも、そんな言い訳している自分が情けなく思えた。
言い訳をしている自分が、自分の努力をすべて否定しているようで虚しかったからだ。
そして、その時に思った
「言い訳したくなる状況がダサい。これだけ努力して言い訳するなんてなんて惨めなんだろう。誰かの期待に応えるために生きるのはやめよう。言い訳ばかりの人生なんて絶対に嫌だ。言い訳できない人生を送りたい。自分の人生は自分で決めよう。」
こうして僕は、言い訳をさけるために、全て自分の自己責任で残りの人生を選ぶことにした。
当たり前だが行きたい大学も自分で決めた。
将来は中学、高校で英語教師になることを目指して、そのために必要な資格を取れる大学に進学した。
授業料は両親に払ってもらったものの、一人暮らしの家賃と生活費は自分でアルバイトをして稼いだ。
学校が終わればアルバイトをし、土日もアルバイトをし、そして自炊生活というまさに貧乏学生のような生活だったと思う。
しかし、それから4年後、親に400万円以上もの学費を払って「教員免許」を取得しつつも、なんと僕は教員になることを辞めた。
なぜならば、教員はなりたかった職業だが、本当にやりたかったことではないからだ。
もちろん、親には反対された。
今度は親どころではなく、祖父や親戚のおばさんにまで怒られる始末だった。
最終的には「お願いだから教師になって。」と、頭を下げてお願いされるくらいだったが、それでも僕は断った。
もし僕が教員になったとして、数年後には「あぁ、あの時、親の言うことなんて聞かなければ…」なんて言い訳をしたくなるのが簡単にイメージできてしまったからだ。
「言い訳したくなるような人生は絶対に選ばない。」
これは、僕が高校生の時に決めたことだった。
高校3年の時に感じた、「どんだけ努力しても、他人の責任にしたくなるようなことでは結果を出せない。幸せにはなれない。」という経験が、「誰のためでもなく自分のために生きる。」という言い訳のできない人生を選ぶきっかけとなっている。
もしかしたら、あなたも今の人生を後悔しているかもしれない。
言い訳ばかりをしているかもしれない。
だとしたら、それは自分の人生ではなく、誰かが決めた人生を選んでいるから、または自分の不幸を誰かの責任にしているからかもしれない。
もし、自分の責任で自分の好きなことを選んでいたら、言い訳も出てこないし、愚痴だって出てこないだろう。
なぜなら自分が決めたことを知っているからだ。
歴史上多くの人が「他人の人生を生きることに意味はない」と言っているが、僕もそれに強く賛同したい。
これは、あなたの人生であり、誰かが変わって生きることはできないのだ。
誰かが善意をもってあなたにアドバイスをしてくれるだろう。
しかし、それがきっかけとなる苦しいことも、悲しいことも、胃が痛むほどのストレスも乗り越えるのはあなた自信なのだ。
アドバイスした人が肩代わりになってくれることなんてできない。
だからこそ、他人のアドバイスとかお願いなんて、自分が望まない限り無視して構わない。
自分の人生を生きよう。
ちなみに、僕が社会的な地位も認められ、安定した給料をもらえる教員という職業につかなかったことには、それよりも大切なな理由については、この次の話に続いていく。
続く….>
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