残りの人生を死ぬまで働いて生きていくことになんの意味があるのだろうか?
そんな消耗的な人生、生きている価値があるのだろうか?
当時22才だった僕はニュージーランドに1年間住んだことをきっかけに、こんなことを思うようになっていた。
それまではバリバリ日本の体育会系の縦社会で過ごしてきたからこそ海外に住んだ時のギャップに驚いたのだと思う。
「過ごしたい時間を過ごして人生を愉しむ」というニュージーランド人の価値観を軸にして生きていることにショックを受けて、そんなふうになっていたのだ。
日本に帰れば、それなりの給料とそれなりの家庭を得て社会的な地位や安心を得ることはできる。
一方で、朝の6時から夜の10時まで仕事に追われ、週末すらも仕事になるだろう。
それが日本での生き方だ。
日本では趣味を軸にするとか、仕事はほどほどにして生活するなんて生き方をするのは想像すらできなかった。
特に、日本は環境がそれを許さない。
とにかくみんな忙しいし、「忙しいことがいいことだ」という考えを持っているから趣味を軸にした生き方をしている人は社会的に認められづらい。
22才の僕もそんな暮らしをしているのはフリーターや日雇労働者くらいで、とても建設的だとは思えないでいた。
しかし、海外には「仕事よりも愉しみを軸にしていきている人が多くいる。それは海外に住む日本人も含めて。
そして、彼らはうまくいっている。
海外に立派な一軒家をたてたり、豪華なビラをたてたり、またはおしゃれなカフェを開いたり…
働く時間は1日数時間で、それ以外の時間を趣味や家族の時間に当てている。
僕はそんな生き方をしたかった。
そう決めてから僕は安定した労働生活という既定路線だったレールを踏み外し「楽しく生きること」にじょじょに舵をきることにした。
最初は行き当たりばったりで「何をやればいいか」すらわからなかった。
どうすれば自分の理想の生活が手に入るのかなんて、誰も教えてくれなかったし、当時は趣味を軸にする生き方をしている人が僕にとっては「一時的な理想の暮らしを体験しているだけ」だと感じていルノも確かだった。
理想の暮らしを手に入れる方法なんて一切わからなかった。
そん生き方を手に入れられるマニュアルがあれば、どんな文章よりも熟読しただろう。
そして、それから11年。
理想の暮らしを追い求めているうちに、尊敬できる理想の暮らしをし続けている人に出会ったり、自分で実践したりしてみたり勉強したりしてみて、ある程度のノウハウと言うか、理想の暮らしをするために必要なことの共通項目みたいなものもみえてきた。
つまり、理想の暮らしをするための”生き方マニュアル”のようなものだ。
もしかしたら、この文章を読んでいるあなたは、11年前の僕のように「仕事だけの人生ではなく、もっと人生をしゃぶり尽くすくらい楽しみたい」と思っているかもしれない。
そうだとすれば、きっと僕が11年間、理想の暮らしを手に入れるためにやってきたこと、考えてきたこと、失敗してきたこと、アドバイスしてもらったことが役に立つかもしれない。
そう思って、この生き方マニュアルを作ろうと思った。
ここにこれから記載されることは、僕が子供ができた時に、そして死んだ時に、お金よりも残してあげたい人生を楽しみながら生きるための考え方だ。
もし、あなたも必要としているのであれば、ぜひ使ってあなたの人生をもっと楽しんでほしいと心から思っている。