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自己肯定感が低い人に読んでほしい、自己肯定感が高い自分のデメリットを自己分析してみた結果…

「自己肯定感が高いことはいいことだ。」ということが、近年言われているけど、自己肯定感が高ければいいとか、全くそんなことはない。

 

ぼく自身、

  • 小学校の時から校内マラソン大会1位、徒競走1位
  • 通知表は「すべて大変良い」(音楽以外)
  • 柔道で全国大会に出場
  • 大学で交換留学合格
  • 青年海外協力隊第一志望合格
  • ロンドンオリンピックに代表コーチとして出場
  • ブログで2000万円稼ぐ

などと、そこそこの成功体験(タナボタもあり)を積んできてしまったがゆえに、自分に自信をもっており、自己肯定感が高いとも思っている。

 

でも自己肯定感が高いからこそデメリットがあることを痛感している。

 

簡単に言えば、致命的な失敗をしやすくなる。

 

自意識が過剰にはたらいたり、過信になったりして、現実が見えていない状態に陥りやすい。

 

自己肯定感が高い状態は、根拠のない自信がつきまとった状態で「地に足がついていない」という不安定さも抱えている。

 

なので、自己肯定感が低くて困っている人は、逆に自己肯定感が高い人のデメリットもしっかり知ってもらえれば、自己肯定感が高い人を羨むことも、自己肯定感が低い自分を呪うこともなくなると思うので、ぜひ読んでほしい。

 

自己肯定感が高いことは必ずしもいいことではない。

 

自信過剰が発動し、盲点ばかりになるので失敗しやすい。

成功体験が多いせいか「自分ならできる」と根拠のない自身を持つことが多い。

 

そして、時には難しい問題、課題、高い目標でも「自分はできる。」というふうに捉えがちになってしまう。

 

しかし、自己肯定感からくる根拠のない自信は、現状をしっかり把握した上で得られる「自信」とは違い、過信でしかない。

 

過信から生まれる行動は、準備不足や経験不足であるにも関わらずエベレストに登るようなものなので失敗しやすい。

 

自信や気合だけでエベレストに登れたら誰も苦労しない。

 

「行動力バカ」が頻繁にやってくる

理想に近づくには「行動に移すこと」が1つの条件なので大切なことだが、「行動しかできない行動力バカ」に陥る自分が嫌になることがある。

 

自己肯定感が高いからか「やればできる。」、「努力は人を裏切らない。」、「続ければ絶対に成果は出る。」という間違った信念を抱えがちになる。

 

行動することは大切な1つの条件だが、闇雲に行動しても成果はでない。

消耗するだけだ。

 

確実にほしい成果を出すためには、事前に計画をつくったり、戦略的に考えたり、現在地とゴールを把握して軌道修正する能力(PDCAを回す能力)が大事になる。

 

「自分ならできる!」と同じことを何度繰り返しても同じ失敗をするだけだ。

 

現状を変えたいなら、自分の考えにしばられず他のアイデアや意見を取り入れる勇気も必要になってくる。

 

自分の弱みをみせることに恐怖を感じている。

自分に自身を持っているので、弱みを見せることに引け目を感じたり、完璧な自分を装って苦しくなる。

 

スーツやブランド品でガチガチに自分を固めている人は一見、自身があるようにみえるが、実際はスーツやブランド品という「鎧を着ていないと強い自分でいられない。」ということの現れでもあるように見える。

 

見た目だけよくてミエをはったり、口だけ達者になるケースは非常によく見る。

 

人間は、誰にでも弱みや短所はつきものなのは普通のことなのだが、自己肯定感が高い人ほど弱みを見せることに恐怖を感じていると思う。

 

自分の短所に気がつけず、改善しづらい。

自分の弱みは吐露したり失敗をすることで自覚し、改善したり補強するチャンスにもなる。

 

しかし、「自分はできる。」という自己イメージが強いため、失敗や弱みを他人に隠し勝ちになってしまう。

 

また失敗したときも「そんなはずはない。できない理由は環境のせい。運が悪かった。」と原因を外部に転嫁してしまうので、大きな失敗をするまで、自分に失敗の原因があることを気がつけない。

 

同じ失敗を何度もしやすい

自己肯定感が高いと、失敗の原因が自分にあるとしても「自分は正しいことをしていたのだから、そんなはずはない。」と自己肯定感が高いがゆえに、自分に失敗の原因があることを認められない。

 

しかし、どんな行動をしても「失敗の原因」を抱えた状態なので、行動を起こすたびに同じ失敗をしてしまいがちだ。

 

「また同じ失敗をしている。。。」と、何度も痛手を負わないといけないのは本当に辛い。

 

精神的にも肉体的にも深手を負うまで自分の欠点を認められないのが辛い。

 

他人を信用できない。任せられない。

意識の中で「自分のほうがすごい。自分のほうができる。」と思ってしまっているので、他人に仕事を任せることに強い不安やストレスを感じる。

 

任せても自分が納得する仕上がりにならないことがわかっているからだ。

(自分が納得するかしないかよりも結果が大事なので、とりあえずそれで試してみることが本当は重要なのだが…)

 

特に高いパフォーマンスを出したことについては、

「このリサーチが他の人にできるだろうか?」

「こんなに寝る間も惜しまず他の人に作業ができるだろうか?」

「きっと普通の人には無理だろう。」

と考えてしまい、結局ひとりで仕事や問題を抱えてパンクすることもしばしばある。

 

自分にもできたのだから、誰にでもできるくらいの謙虚さを持っていることの大切さをもっと知ったほうがいい。

 

高圧的になりやすい。

自分の成功体験が多いからか、勝手に高い理想をいだいてしまうからか、他人に対して「なんでこんなこともできないの?」「できるまでやれば、できるようになるよ。」などと高圧的になってしまうことが多い。

 

自分の不得意は棚に上げといて、自分の得意な部分で相手の短所や弱みに高圧的な態度を取るのは非常に良くない。

 

自分にも短所があるし、自分以上の長所を他人は持っていることを理解した方がいい。

 

人の力を得るのが下手

「迷惑をかけるのが嫌だ。」、「貸しを作りたくない。」という意識があったり、「自力で解決したい」という思考が働くので、人の力を借りるのが下手だ。

 

一方で傲慢なやり方で相手から搾取したり、エサでつって騙して人の力を盗んでいる人もいたりするが、やっぱりそれは破滅的なので良いやり方ではない。

 

減る資産の恐怖と常に戦っている。

生まれながらに家庭が裕福。

生まれながらにして運動神経がいい。

生まれながらにして顔が整っている。

生まれながらにしてーー。

こうした「生まれながら持っている。」ものは、持っていれば持っているほど、失う恐怖に生まれ変わる。

 

生まれながらに裕福だと貧乏になるのが怖くなり、生まれながらに運動神経がいいと、自分より運動神経がいい人間が出てきた時に自分の無価値感を実感する。

 

生まれながらに顔が整っている人は、老化やファッションが気になって仕方がない。

 

など生まれながらにして与えられてしまっているものを維持したり拡張しなければ「自分の価値がなくなる。」という強迫観念にかられながら生活することになる。

 

こんなふうに生まれながらにして与えられてしまった自己肯定感は、強制的に努力が強いられるので、けっこう苦しい。

 

【まとめ】自己肯定感が高いと、致命傷を負う失敗が多く、生きた心地がしないことがしばしばある。

自己肯定感が高いと、強い「自我」や「自信」、「自分の価値観」に占領されて、『自分の欠点や弱点』に気がつくことが難しくなる。

 

失敗したときでも「自分が悪いわけではない。」と原因を外部に求めやすくなってしまうので、同じ失敗を何度も繰り返すことにもなりやすい。

 

自己肯定感が高いからこそ、自己肯定感が高いことへのデメリットを痛感するので、自己肯定感が高い人のことを羨ましがることは一切必要ないと思う。

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