とあるサンフランシスコ在住で曹洞宗の尼僧さん(女性のお坊さん)に、座禅について質問するチャンスがあったので、ある質問してみた。
ズバリ、
「座禅ってどうやって悟りを開くんですか?」
ということだ。
釈迦がやっていたのがヴィパッサナー瞑想(俗称:気づきの瞑想)という方法であり、やると気づきが得られて悟っていく段階を感じられる。
なので、座禅の場合は、どうやって悟りを開いていくのか、気になったからだ。
座禅については、いろんあ本を読んでみてもシンプルゆえに、わからないことが多いのだ。
そして、答えはやっぱりシンプルだった。
座禅は「どこにも意識をむけない。」
どうやって悟りを開くのかについての質問の答えは、『それはよくわからない』というのが、正直な答えだった。
そもそも、座禅は「どこにも意識をむけない」ので、なにか気づきをえること自体が難しいように思う。
それから「意識をしない」ということが難しい。
なぜなら「意識をしない」と意識してまっている時点で「意識しない」ができていないからだ。
ただ、安心してほしいのは、実際に尼僧として数年以上も座禅に取り組んでいる、もはや座禅のプロであっても「難しい。正直、座禅はシンプルがゆえに究極だと思う。」と、漏らすくらいなのだから、、、
それと、僕がヴィパッサナー瞑想をやっていると説明したら、逆にヴィパッサナー瞑想のことについては知らなかったようなので、説明してみた。
ヴィパッサナー瞑想は「今感じていることに意識をむける」
僕がヴィパッサナー瞑想をはじめたきっかけは、「ヴィパッサナー瞑想こそが釈迦が悟りを開いた時にやっていた瞑想である。」という内容をどこかで知ったからだ。
ヴィパッサナー瞑想を日本語に直すと「観法瞑想」であり、観察することが1番の目的となる。
詳しいやり方は以下の記事で説明しているが、
簡単に説明すると、感じたことを心のなかで唱えて追っていく。
随時、自分の五感が高速でうごいているのがわかり、その動きを心で集中しながらおっていく。
すると、自分の感じている感覚と、実際に起きている現象が異なることに気がつける。
つまり、自分の感覚が狂っている(常に正しいわけではない)ことに気がつけるのだ。
この話をしたら、マインドフルネス瞑想の発祥地であるサンフランシスコに在住していることもあり、
「それはマインドフルネス瞑想にとても似てますね。」
ということだったので、『ヴィパッサナー瞑想≒マインドフルネス瞑想』でもいいのかなとも思う。
それと、座禅に似た瞑想方法で「サマタ瞑想」というものがあるので、これもついでに紹介しておきたい。
僕はサマタ瞑想と座禅を同じものだと思っていたが少し違った。
サマタ瞑想は「ひたすら呼吸に意識をむける」
サマタ瞑想の目的は、心を安定させて精神を統一させることにある。
意識が飛んだことに気がついたら、呼吸に意識を戻し、心を落ち着けていく。
座禅は「どこにも意識を向けない」というので、意識が発生した時にどうしていいか、正直わからない。
意識をしないようにしようとすれば、それだけ頭の中で混乱が起きてくる。
その点、サマタ瞑想は呼吸に意識を戻せばいいので、簡単である。
【まとめ】座禅はシンプル、ゆえに難しい…
座禅はただひたすら目を瞑り座り続けるだけという、とてもシンプルなゆえに難しい。
やっていると頭がおかしくなってきそうにさええする。実際に修行を積んでいる尼僧さんもそう言っていた。
なので、初心者が心を落ち着かせるために瞑想をするのであれば、サマタ瞑想とか、ヨガでも使われているシャバーサナ瞑想から入るのが、あらためていいのかなと思った。
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