購入した土地を整備し始めて1ヵ月が経っただろうか。
いや2ヶ月が経ったかもしれない。
土地の整備をするにあたっては、いちどショベルカーで道を作ったくらいで、それ以外の『仕事』は友達にやってもらっている。
いちおう『仕事』と書いているが、どちらかと言うと「手伝ってもらっている」と言うスタンスでしっかりとお願いしてるわけではない。
でも彼らは進んで
「Shintaro明日はこの仕事をしよう。バンブーが届いたら今度はゲートを作ろう。」
と積極的に仕事を手伝ってくれている。
そうしてもらえてるわけには、僕が彼らに普段から、ご飯を用意したりお酒を振る舞ったりしているから、と言うのはあるが、お金を少し払っていると言うところもある。
ただ給料としてではなく、感謝料として支払っている。
業者に頼むのにお金がかかるのでその分を彼らに回しているというのもあるが、それでも業者に頼む金額の半額でやってもらえている。
コロナの影響で、観光業の仕事はここ2年全くなく、彼らも収入が必要と言うところもあるだろう。
だからといって彼らに仕事としてお願いそうすると、お願いするような仕事内容はインドネシアでは日給800円くらい(時給ではない)なので、友達にお願いをするには本当に申し訳ない。
(インドネシア人の友達とも話したが、昔土木で働いていた時は日給が800円でタバコとご飯を買えば全て消えてしまうほどの給料しかもらえておらず「心の中で泣いていた」と言う話を聞いていたと言うのもあるし、実際に日給800円ではインドネシアであっても続け建設的な暮らしができるわけではない。)
なので仕事としてではな、時間があったら手伝ってほしいと言うスタンスでお願いをしている。
そんな中で最近本当に感じるのが、「貸借り」の重要性だ。
日本では義務教育において、貸し借りは問題のもとになるからやってはいけないと言うスタンスを植え付けられている。
持っている漫画を学校で貸し借りしたり、CDを貸し借りしたり、お金を貸借りしたり。
こういうことをしていると先生からもまたまた家族からも注意される人が多かったのではないだろうか?
でも基本的に生活する上で貸借りほど重要なスキルはないと思う。
貸し借りを行うことによって信用が複利的に増えているからだ。
それと貸し借りを行うと勝手に、借りたよりも多くのモノ(質)を提供するようになってくる。
それと貸し借りを行うメリットは、信用できない人をどんどん見つけて排除することもできるからだ。
すると周りからは信用できない人はいなくなり、信用できる人と富だけが残っていく。
ここウェストスンバワで生活をしていると、いかに自分ではできないことがいっぱいあることに気づかされる。
特に仕事はインドネシアの雇用を守るために簡単な作業であっても外国人はできない(違法)ことになっており、自分ができる簡単な仕事であっても、ことごとくローカルの人の助けが必要になってくる。
自慢ではないが、僕はDIYも好きだし1人でも生活できるほどいろいろなことができる。
そのため仕事も自分1人でやってきたし、助けてもらうよりも自分でやったほうが早いし、自分でやった方が納得できる仕上がりにできる方が多い。
しかし法律において禁止されており破れると強制帰還強制帰国させられるリスクもあるためできない。
そして、自分が典型的な器用貧乏のなりの果てだと気付かされる。
エリートな人には多いと思うが、自分が優秀であると思い込んでいるがために、他人に仕事を任せることができないのだ。
もっと先に言えば、仕事を任せる、人に助けてもらうという能力が圧倒的に欠けている。
しかし、ここでは法律が自分の行動範囲を制限してしまうため他人に助けを求めるしか方法がなかったりする。
でもこの制約が自分に圧倒的に足りていなかった、助けてもらうスキル、お願いするスキルを身に付けるのに役だっている。
そして自分が進めなくても、勝手に自分の土地の入り口であるゲートまで完成した。
まだ2割ほどの仕事が残っているが、それでも人に助けてもらって作業を進められていると言うことに、なんというか安心感に満たされている。
お願いしている以上の仕事をこなしてくれるからだ。
そして何よりも信頼関係が深まっていくと言うのを肌で感じる。
「あー自分はこの人たちと一緒に生きていくんだ。」と言う気持ちも確信に変わってきている。
大事なのは自分を生かしてくれる人を助けることだし、助けてもらうことだと思う。
それを実行し、肌で感じることができたのはとても大きな収穫だ。
残りの作業も早くて3日あれば終わるだろう。
でも家を建てるまで、そして家を建てた後の管理までも多くの人が力が必要になってくる。
この調子で進めていけば大丈夫だろうが、もっと安心してリラックスして生活できる環境が作れるんだと思う。
自分が多く持っているもの、自分が必要のないものはどんどん他の人に回してあげよう。
決して「あげるのが惜しい」感じてしまうものがあっても、自分が今使ってないものはどんどん回してあげよう。
これが安心して生活するために本当に大事なコトなんだと思う。
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