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インドネシアでラマダンが始まって「食事のありがたみ」をズッシリ感じる。

ちんぽ○を切ったわけだが、儀式を終えていないので、まだ正式にイスラム教になったわけではない。

 

なので、ラマダンをする必要はない。

 

でもラマダンが始まった1日目から、みんな

「PUASA(プアサ)、PUASA(プアサ)」
(インドネシア語で『断食』、『ファスティング』)

と笑顔で言いあいながら楽しんでいるので、「あ〜ラマダンだな〜」っていうことを実感せずにはいられない。

 

彼らは朝の3時頃に起きて、朝食の準備をして5時のお祈りの時間までに朝食をすませる。

 

朝日が登る朝の5時までは食べ物はもちろんのこと、コーヒーもタバコも許される。

 

すぎたら日没までは全てが禁止となる。

 

そして、昼頃になり、

「タバコを吸えないのがツライよ〜」

と近くで家族のVillaを管理しているBOB(ドレッドヘアーのパプア系インドネシア人)がやってくる。

 

BOBはいつも来ないのに、ラマダンになってから今、僕が住んでいる宿にやってきて日中くつろいだりしている。

 

気がついたのはBOBはいつも1人で宿を管理しているので、ここに来て、誰かと一緒にいたほうが禁欲生活に耐えやすいのだろう。

 

10キロの減量生活をしたことある僕も、この禁欲生活は大変なのを知っているので、下手に刺激したくないなと、なんとなく彼らの前でご飯を食べたり、飲み物を飲んだりしづらい。

 

なのでキッチンでコソコソ食べたり、飲んだり知ているのだが、それでも「あ、いま、しんたろうがキッチンに行ったぞ。」というのはどうしてもバレてしまう。

 

むしろ、こちらを見ずに、気が付かないふりをしてくれていることまでバレてしまっている。

 

なので1日目のラマダンから、なんとなく食べづらいし、飲みづらいしで、僕も12時からは5時間ほど一緒にPUASAをしてる。

 

たった5時間ほどの断食でも飲み物は飲めないし、外で力仕事をしようとしたらチョロっとふらつくし、頭の回転も鈍ってくるのがわかる。

 

お金を稼がないといけなく、家を建てないといけない僕は、やっぱり最低限のコンディションを整えたいので昼までは普通に生活をしている。

 

すると夕方のご飯が格別に美味しく感じる。

水を飲めることへのありがたみが感じられる。

食べ物を調達知てきてくれた人に感謝を感じるし、作ってくれた人にも感謝を感じる。

 

自分はたった5時間しか断食をしていないのだが、それでもそう感じるのだから13時間も断食している彼らは、ソレ以上になにかを感じているのだろう。

 

減量中とは違った断食生活で、初日からラマダンの良さを感じたのでした。

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