今日は彼女がいるスンバワ島の首都、スンバワベサールに行って、帰ってきた。
要件はと言うと、今月末に切れるVISAの更新手続き。
今回は、結婚することもあり、彼女にローカルスポンサーになってもらうための書類を作りにきたのだ。
それともう1つの書類。
5日後に控えている割礼の書類の提出をしなければならなかった。
割礼については、2週間前に急遽3月22日に 行うことを彼女の義兄と決めた。(お父さんが亡くなっているので、家の主は義兄)
ちょうど先週、彼女の義兄が、「割礼をする前に1度、会いたがってる」という話を彼女から聞いたので、その翌日に彼女の実家に行ったときのことだった。
「ムスリムになったら、もうもとには戻れないんだぞ。」
「両親はいいと言ったのか?」
「イスラム教になるのはなぜか?」
という確認と質問がされ、すべてYESで答えた。
イスラム教になる理由についてはお義兄さんが、「神を信じるからか?それともANIと結婚するためか?」という質問が続いたので、
「ANIのためです。」
と素直に答えた。
結婚のために宗教を変えるというのが、もしかしたら不謹慎というか不順に思われるかもしれないなと、少し前に考えたこともあるから、その答えを出した時に、「まずかったかな?」と少し戸惑った。
でも、ここでウソをつかなくてよかったなとも心から思う。
なぜならば、イスラム教のことは豚肉を食べてはいけないことと、ラマダンを覗いてほぼ知らないからだ。
イスラム教は良い宗教だと思っているけれど、イスラム教にならなくてもいいのであれば別にわざわざ入信することもなかったと思う。
むしろ豚肉を食べられなくなるから、クリスチャンにはなっても絶対にイスラム教にはなることないなと思っていたくらいだ。
餃子も肉じゃがも、豚しゃぶも食べられなくなる未来なんて、誰が受け入れられるだろうか?
でも結婚するにはイスラム教になることが必要で、しかもイスラム教になるにあたっては割礼を受けないとイスラム教になれない。
イスラム教の割礼は物理的に性器を切らないといけないんだから、本当に心が決まっていないとなれない気がする。(自分で言うのもなんだけど…)
そして最後に
「で、いつ割礼するんだ?」
とお義兄さんに質問されたので、とうとう決意をすることにした。
予定が特にあるはずでもないスマホのカレンダーを見て、「来週は早すぎる。心の準備ができていない。だからと言って長く待つのも嫌だ。再来週くらいにはしたい。」と予定を見るふりをして「今月の22日にします。」と答えた。
そして今、その割礼の日が5日前まで迫っている。
割礼をしてチンポ○を切るのだが、心の状態も割礼する前と後で違うのかも気になる。
このとおり結婚をするための形だけのイスラム教になるのだけど、割礼を受けた後と、心理的にナニかが変わるのだろうか?
少なくとも最近は、イスラム教について話をしてくれる機会が多くなり、イスラム教を知る機会が多くなっている。
この地域は深くイスラム教を信仰している人が多いので、少なからず影響をうけると思う。
かと言って、豚も食べるし、お酒も飲むだろうし、お祈りだってほとんどしないだろう。
それでも変化はあるのだろうか?
あるとしたら、はたして、どんな変化があるのだろうか?
そして、変わらないものはなんなのだろう?
というのがとても気になる日々を過ごしています。
あ〜来週チンポ○切るのか〜
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