「あんなこと、言わなければ良かったのに。(しなければ良かったのに。)」
と、後になってから、消えてなくなりたいほどの
- 感情に任せて相手に激怒してしまったり、
- 手伝ったつもりが、逆に足手まといになってしまったり、
- 相手に好かれようとしてできないことにも、ついつい「できます」と無理な約束をしてしまったり。
そして、最終的には気まずくなり、関係がギクシャクするので、「あんなこと言わなければよかった。(しなければ良かった)」と、なってしまう——。
無意識的に八つ当たりをして、誰かを傷つけるなんて、全く良くないし、自己嫌悪になって自分を責めることもよくない。
自分も他人も傷つくだけなので全く生産性がないどころか破滅的である。
でもここ2年間、瞑想をし続けた結果、自己嫌悪になる回数が減った。
その理由はやっぱり、初期段階での判断ミスが減ったからだ。
- 怒る回数が少なくなり、(怒っても状況が悪くなるだけだと理解できるようになり)
- 合理的に考えられるようになり、(無理に気が付けるようになり)
- 自滅するようなイベントを避けられるようになったからだ。
今回はこのことについて体験談をもとにシェアしていきたいと思う。
感情に振り回されるから、自己嫌悪に陥る
自分が「感情的か論理的か」と聞かれたら100%感情的な人間と答えるだろう。
笑いたい時は大声で笑うし、泣きたい時は誰よりも泣いてしまう。
『感情豊か』と言えばポジティブに聞こえるが、感情のアップダウンが激しいと言えばメンヘラ気質ともとらえられる。
今だからこそ言えるが、感情で判断、行動してしまうと、たいてい思い通りの結果にはならない。
「そんなこともできないのか!」
「なんで、これがわからないんだ!」
あなたもこんなことを言ったことがあれば、多くの人を傷つけては自己嫌悪に堕ちた経験があるはずだ。
自分の伝える能力が低いことを棚に上げて、全ての責任を相手に転嫁する最悪な行為。
感情的な状態だと、こうやって、ついつい自分に都合の良い解釈や対応をしてしまい、誰かを傷つけたり、悪気のない嘘さえついてしまう。
その結果、あとになって自己嫌悪に陥る。
実際に人間が感情的になっていると思考力や判断力が低下すると言うのは専門家の一致した意見 だ。
優しく丁寧に伝えれば相手に理解もしてもらえるし、自分の株を上げるチャンスだったとしても、機嫌が悪い状態だとぶっきらぼうにしか伝えることができず、「内容を理解してもらえない上に自分の評価を下げる」という破滅的な行動を無意識的にやってしまうのだ。
じゃあどうすれば、感情に流されなくなるのか。
『現状を正確に把握する』と言うスキルを身に付けることによって自然と感情に流されなくなってくる。
例えば、せっかく時間をかけて栄養バランスの取れた食事を作ったのに、子供が好き嫌いをして食べ残している——。
そんな時は、手間ひまかけて作ったこともあり、
「全部食べなかったら次のご飯はないからね❗️」
と言いたくなる気持ちはわかる。
でも、これを言ったところで子供が食べられるようになるわけではない。
むしろトラウマになって生理的に無理になるだろうし、不正をしてでも食べたことにする。
(僕の場合は嫌いなものを口に含み、トイレに駆け込んで全て吐き出して『食べたこと』にしていた笑)
このやって大人や会社の偉い人など立場や権力を武器にして、相手に言うことを聞かせようとする。
でもそういう人をよく観察してみると、親子関係がうまくいってなかったり、ブラック企業に陥っていたりする。
全く効果が無いどころか、破滅的な判断と行動を取り続けている結果だ——。
逆に、『正確に現状を把握できる』ようになってくると、どんな行動や言動が効果的かがわかってくる。
さらに自分の間違っている所に自己嫌悪になる前に気をつけるようになってくる。
交通事故を未然に防げるのであれば、防いだほうがいいに決まってる、と思うのであれば、ぜひこの続きも読んで欲しい。
現状を正確に把握するために、特別なスキルやテクノロジーは必要ない。
結果論だが僕の場合は瞑想するようになってから自滅、自己嫌悪に陥ることが減った。
瞑想することで自分が今まで『因果関係』を間違えてることに気がつけるようになったからだ。
八つ当たりも、失敗した人・できない人を責めることも因果関係を違いすることで起きている。
わかりやすい例は家庭の問題を職場に持ち込み、自分よりも立場の弱い人に不機嫌をばらまいている人だ。
または逆に仕事の問題を家庭に持ち込み子供やパートナーに八つ当たりしてる人たちだ。
家庭の問題は家庭で発生したものであり、職場は全く関係ない。
同様に会社の問題も会社で発生しているのであり、家庭には何の責任もない。
当たり前のことだが、コレに気がつけない。
特に他人のことであれば気がつけるのに、自分のこととなると「自我」が邪魔をして気をつけなくなる。
瞑想することで、自分を客観的にかつ合理的に観察することができるようになるので自分の現状を正確に把握できるようになってくる。
「瞑想はマインドフルネスでいい。」とか、なんだかんだ言われているが、やっぱり瞑想の凄いところは、自分の先入観や妄想、思い込み、勘違いに気がつく観察力が上がることだろう。
そもそも瞑想の歴史は、今から2000年まえにさかのぼる——。
電気はなく、今のように冷蔵庫で食料保存することができず、寒くても暖房をつければ部屋が一瞬で暖かくなるわけでもなく、飲み水も水道ひねればでなかった時代。
明日の食べ物が保障されてなかった時代は、今よりも心がもっと不安定だったはずだ。
そんななか、「心の平安」を求め続けた釈迦が出した答えが『瞑想』である。
(ちなみに釈迦は「全ての苦行は無駄である。」と苦しい修行を否定している。)
「苦しみを乗り越えた後に未来がある。」というのは、美的精神を武器にした根性論でしかない。
仏教の煩悩やキリスト教の原罪も言っていることは同じで、人間は「勘違いして生きている」ということを言っている。
自分を過大評価したり、逆に自分を低く所評価して自己肯定感がないと思い込んだり、言えば相手は理解してくれると思いこんだり、起これば話を聞いてくれるだろうと勘違いをしている分は、ここまでこの記事を読んでいる人であれば、身に覚えのある人の方が多いはずだ。
現実の自分と理想の自分が乖離すれば乖離するほど、ギャップに苦しむので感情的になってしまう。
瞑想をすることによって理想という妄想が外れ、ありのまま自分を受け入れられるようになるので、感情に流されなくなる。
そして、それだけじゃない。
破滅的な行動が減り、生産的な行動が増える。
感情と思考という2つの観点から観ると、感情的な人は「論理的」な思考が苦手という傾向がある。
論理的で人の感情がわからない典型的な例は「2ちゃんねる」創設者のヒロユキ氏。
論理的思考で話して他人の気持ちをまったく配慮せず、むしろ馬鹿にしているようなのが特徴的だ。
一部の熱心な信者に支えられるも、ホリエモンのようないっけん同じような人からも嫌われている。
論理的な判断では損する人や得をする人が出てきて、結局うまくいかないと考えるからだ。
しかし、それでも論理的にものごとを考える思考力は、矛盾を取り除くのに必須な能力だ。
論理的に考えられるから、間違いやたりてない物事に気がつき、軌道修正したり、補ったりできるからだ。
感情的には正しくても、非論理的であれば、現実的ではなくなってしまう。
瞑想を行うことで感情を抑えて論理的かつ生産的な判断、行動が取れるようになる。
でも瞑想って難しいんでしょ?
瞑想をおすすめするときまって、
「頭の中がゴチャゴチャしてきて、むしろ心が乱れる」
「できているのかわからない。」
「やってみたけど無理だった。」
という返答が決まって返ってくる。
しかし瞑想は仏教系の保育所で6歳児でもはじめているので、大人に出来るないわけがない。
しっかり基本を知れば誰にだってできるのが瞑想だ。
そして、基準やコツというのもわからなければ、自然と瞑想している状態にもっていける。
音声で説明するので興味がある人だけ、以下のリンクからダウンロードできるようにしてある。
音声で聞きながらやった方が目を閉じながらできるので、文章で読むよりも圧倒的に瞑想しやすい。
瞑想についてのその他の記事
コメント