ヴィパッサナー瞑想の最大のメリットは、心が安定し、感情にゆさぶられることなく、事実をしっかり見ることができることだ。
そもそも瞑想とは?↓

しかし、もっと驚くべきは「あなたが事実だと信じていること」が事実ではない、と思い知らされる体験をすることにあるかもしれない。
僕の体験談はこちらから↓

僕の経験から感じたヴィパッサナー瞑想をおすすめする11の理由を詳しくシェアしたい。
「自分の感覚」と「事実」が違うことに気がつける
ヴィパッサナー瞑想をして1番インパクトがあったのは「自分が認知している世界と、実在している世界は違う。ズレがある。」ということである。
瞑想中に「かゆい。虫がいるのかな?」と思って目で確かめても、実際にそこにはナニもいなかったり、足音がして「あ、誰か来た。」と思って目で確かめても実際には誰もそこにいなかったり。
ちょっと何を言っているかがわからな人に説明すると、僕たちは目で見たもの、耳で聞いたものなど、五感で感じたものを「事実」として解釈してしまうということだ。
もっとわかりやすくいうと、録画された自分をみて「え?自分ってこんな動きをしているの?」と感じたり、録音された自分の声を客観的に聞いた時、「あれ?これ本当に自分の声なの?」と感じたりしたことはないだろうか?
例えば、自分が踊っているところを動画でとって見直してみてほしい。
やる前までは、自分にもできると思っていても…
実際にやってみると、「気持ち悪い、ぜんぜん思ったように踊れていない。」となるはずだ。
このように僕たちは多くの場合、
「思っていたよりもはるかにヒドイ…」
という事実を突きつけられる。
つまり、事実を知るまでは存在しない「幻想」や「幻聴」、「幻覚」を「事実」として捉えてしまっている。
自分の認知と感覚は実際とだいぶずれている。
僕の場合はヴィパッサナー瞑想では自分の感覚だけではなく、心の認知や動きがずれていることに気がつくことができた。
問題を細分化して認識できるようになる
ヴィパッサナー瞑想をやっている最中は、起きている事象や感じている感覚をドンドンおっていく。
そうすると、例えば「食べる」という1つの動作でも
- 食べ物があると気がつく
- 食べ物を食べようと思う
- 箸が必要であることに気がつく
- 箸に手を伸ばす
- 箸を手で持つ
- しっくりくるように箸を握り直す
- 箸で食べ物をつまむ
- 食べ物を口元まで運ぶ
- 口を開く
- 食べ物が舌と葉に当たっていることに気がつく
- 歯で食べ物を挟む
- 箸を口から離す
- 食べ物を噛む
- 味わう
- 噛む
- 味わう
- 噛む
- 味わう
- 飲み込みたく感じる
- 飲み込む
というような、長い長いプロセスが「食べる」という1つの行動であることがわかる。
このように細分化していくと、今まで見えていなかった世界や問題、または自分の認識とのズレを確認できるようになってくる。
僕の場合は、人間関係の悩みや仕事で抱えている問題も、このように細分化して考えられるようになり、解決できるようになった。
自分がいかに無意識で行動しているかがわかる
さきほど「食べる」という行動が長いプロセスを経ていることを説明したが、ヴィパッサナー瞑想をやる前は、気がついていなかった。
つまり、気がついていなくても「何かをしている。行動している。」というのが起きている現象だ。
僕たちは、意識して行動していると思っていても実際は、このように気が付かずに無意識に行動していることがよくある。
そして、その無意識には悪い結果をもたらしている行動パターンがあることにも気がつく。
「無意識」という言葉を聞くと、とてもスピリチュアルで怪しいような認識を、過去の僕はしていたが、自分の行動が無意識によって行われていることに気が付き、改善するチャンスときっかけを得ることができた。
行動だけではなくて「無意識な思考パターン」にも気がつける
また、無意識が操作しているのは、行動だけではなく、僕の思考パターンも操作しているということにも気がつくことができた。
無意識のやっかいなところは「自分が気がついていないから無意識」と呼ばれているところだ。
思考パターンを観察するとよくわかりやすいのは、
- 同じ失敗を繰り返している
- また同じ問題を抱えている
という例である。
また、外食をするときに、
- 店の選び方
- 注文する食べ物の選び方
なども自分の思考パターンが反映されていることがわかる。
これと同じことが、人間関係やもない解決にも言えて、悪い結果をもたらしているとすれば、悪い思考パターンや思考の癖が邪魔をしていることに気がつくことができる。
感情もまた無意識的に芽生えているものだと気がつく
感情もまた、無意識のうちに発生して壊滅的な結果をもたらしている。
僕の場合で言えば、
- 仕事に集中できないくらい人間関係でイライラしたり、
- または、ふと鏡を見た瞬間に怖い顔をしていたり、
- うまくいっている人に嫉妬心や妬みを感じたり…
こうした感情でさえも無意識的に発生しており、知らずのうちに自分を傷つけたり、他の人に不快な思いをさせていることに気がつくことができる。

無意識も意識すればコントロールできることに気がつく
そして、大きな気づきともなったのは「無意識」も意識しつづけることによって、コントロールできるようになるということだ。
1番わかりわかりやすいのが、最初に話したスポーツ選手が自分のフォームを録画で確認して修正する例だろう。
無意識で気がついていない部分も、気がつくことができれば修正できる。
それは、行動だけではなく、無意識的な思考パターンや無意識的な感情の発生も含めて理想に向けて修正できるということでもある。
原因を突き止めて自分をもっとコントロールできるようになった。
うまく行かない時があると、自分の行動や感情をコントロールすることがとても困難に感じることがあった。
しかし、今では観察力があがっているからか、
「なぜこんな行動をしているのか?」
「なぜ、こんな感情をいだいているのか?」
を考えることができるようになってきており、根本的に今時分が抱えている問題に向き合えることができるようになった。
すると、行動を変えようとか、考え方を変えようとか、感情的に成るのは全く得策ではない、などと気がつけるように成る。
不快感も時間が立てば消えていく
瞑想中には不快感がよぎることがある。
例えば、
- 体の一部が痒くなって気になる。
- 汗が垂れてきて拭いたくなってしまう。
- 目の前で音がして目を開けたくなってしまう。
などなど、しかしヴィパッサナー瞑想をして、起きている現象、感じている現象をおっていくと、そんな不快感がも一時的で、数秒の間に消えていくことが感じられる。
この経験からも、不快なことを感じた時に「一時的でありすぐに消えていく」という認識ができるようになった。
そんなこともあり、イライラしやすい人や不快感に包まれて生きている人はヴィパッサナー瞑想をすることで、もっと生きやすくなれると思う。
不快感に1番反応しやすい
不快な事は自然と時間がたてば消えていくことに気がつくのであるが、何よりも1番反応しやすいのは、体に生じるかゆみ、暑い日光の日差し、姿勢が崩れることによって生じる不快感だ。
このことからも、不快な環境に身をおく事はそれだけで、自分のコントロールを失いやすくさせ、良いパフォーマンスが出せるわけがない、ということも知ることができた。
心地よい環境を整えるのは生物的にとても大切なことであると思う。
同時にわざわざ、理由もなしに自分のコントロールをできなくなるような不快な環境に行く(苦行する)必要もないのかと思う。
オープンマインドになり、心が安定する
日本では我慢や忍耐が美徳とされているので、なにか嫌なことがあれば我慢したり、それを他の人にも求める人が多いように感じる。
しかし、やはり我慢は積もると爆発したり、我慢がきっかけで思いも寄らない不都合が自分にふりかかってきたりする。
わかり易い例だと
- 仕事が終わったり、退勤時間になっても上司が帰るまで、帰宅できない雰囲気を作り出し、それを他人にも強要する。
- セックスレスにより性欲が解消されず不満となり、浮気や不倫、仮面夫婦、そしれ離婚に至る。
- 慢性的なストレスと満員電車でのストレスがきっかけで、突然怒鳴り声を上げる人。
- 会社で重要なポジションにいるから、常にできるように振る舞わないといけない重役の衝動買いや愛人づくり。
- ワンオペで育児をしており、疲れ果てて育児放棄や虐待にはしってしまうシングルマザー・シングルファーザー
などきりがない。
問題は抱えすぎるとやがて爆発するし、平気そうに装っている人ほど心配になる。
まずは自分自身に、気持ちをオープンにできるようになることで、心はとても安定する。
瞑想を習慣化できた。
サマタ瞑想をしていたら、瞑想に集中できなくなり、しんどくなった時があった。
その時の体験談は↓

その時に始めたのがヴィパッサナー瞑想だと言われている。
ヴィパッサナー瞑想を初めて6ヶ月くらいたったが、未だに飽きはこない。
それどころか、高速で認知してしまう事象を追っかけていくことで、次々と新しいことに気が付かせてくれて、これが快感となる。
ヴィパッサナー瞑想は釈迦が悟りを開いた瞑想ともいわれているので、ヴィパッサナー瞑想に飽きがくるようならきっと悟りを開けてるだろう。


そもそも瞑想とは?↓

【まとめ】「ヴィパッサナー瞑想こそ人生を根本的に変える」と、思うよ。
サマタ瞑想をやって、心が安定していることがどれだけ大切かを知ることができ、さらにヴィパッサナー瞑想をやったら、今までの自分の考え方が、どれほど陳腐だったのかを痛感させられた。
僕たちは、自分の感覚をまず信じてしまう。
目で見たこと、耳で聞いたこと、実際に体感したことさえも、すべて過去の経験からくる偏見というフィルターを通してしまうため、事実を曲解して解釈してしまう。
このことに気がつけると、「なぜ、自分の考え方でうまくいかないのか。」が見えてくる。
自分の勝手な解釈をなくして物事をみることで因果応報がうまく働くようになると感じている。

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