僕も瞑想し始めたころ次々と浮かび上がってくる雑念にストレスを感じてしまい、どうすればいいかわからなかった。
でも雑念を止める方法や雑念を解消する方法を知ってからは、雑念が出てくることに喜びさえ感じてしまう。
なぜならば、雑念によって現状打破のヒントを見つけられるようになってきたからだ。
瞑想をすると雑念に侵されてしまう。考え事が止まらなくなるという人にきっと役立つと思うので自分の体験談を書いていく。
瞑想中に雑念があることに気がつけたらそれは正解
アレもやらなきゃ、これもやらなきゃ。
なんで自分はこんなに忙しいのだろう。
上司が自分ばかりに仕事を振らなければ…
子供がいなければ…
親がもっと自分の話を聞いてくれていたら…
瞑想をしていると、いつの間にか悩みごとに集中してしまうことはよくある。
すると、ついつい瞑想すると雑念に駆られてしまっていやだ!ぜんぜんマインドフルネスじゃない!と瞑想をひていしまうことにもつながるのだが…
半年も瞑想を続けると「雑念」が出てきてよかった!
と思えるようになってくる。
それはなぜかと言えば、雑念と向き合うことで自分の未来を変えるヒントがあるからだ。
これは瞑想すると当たり前に起こることで、重要なのは、そのあとどうするか?だ。
瞑想すると雑念が出てきてしまう理由は、脳はリラックスした時にデフォルト・モード・ネットワーク(DMN)が、脳が過去の記憶をたどったり、自分が置かれている状況を確認しだすからだ。
↑このように瞑想をすると過去の記憶が蘇ってきたり、自分の現状に満足していないとイライラしたり、または問題に対する新しいアイデアが出てくるのは普通のことなのだ。
むしろ瞑想できている状態といえる。
そして、もっと大事なことといえば雑念には「自分の思考パターン」や「思考の癖」が隠れていることだ。
雑念こそ現状を変えるチャンスを与えてくれている。
特に、怒りや自己嫌悪という雑念は、自分が無意識に判断している思考の癖に気がつくことができる。
自分の思考の癖、特に悪い癖は大きな失敗をした時にようやく気がつけることが多いのだが、瞑想は大きな失敗をしなくても「自分の悪い思考の癖」に気がつける。
わざわざ失敗して自分を傷つけることなく自分をバージョンアップできるのだから、非常に効率がいい。
なので、瞑想してでてきた雑念は活用しないともったいない。
そもそも雑念としっかり向き合うというのはとてもシンドイ作業だ。
なぜなら、基本的に人間は「失敗を自分の責任にしたくない」という無意識(自己奉仕バイアス)があるので、今まで起きた悪いことにおいて、自分に非があることを認めたくないからだ。
上司が責任だけを部下に押し付けて、成果だけを自分のものにしたり、夫婦喧嘩でよくみる相手の悪い部分を避難し合う痴話喧嘩も、こうした「自分は悪くない。悪いのはお前だ!」という悪い思考の癖がみられる。
特にストレスが溜まっている場合、精神的にも肉体的にもこれ以上のストレスに耐えられなくなるので、どうしても問題の責任を他人に転嫁しやすいのが人間だ。
だから、次のように雑念を自分の感情を排してしっかり観察することが重要となってくる。
雑念をしっかり観察すると…
まず雑念をしっかり観察するには「感情を排して、道理的かつ合理的に考えること」が重要だ。
これは仏教の経典に書いてある「正思(しょうし)」という概念であり、因果関係を明白にするのにとても効果的である。
例えば、僕の場合、自分の収入が途絶えてしまった時に「こんな状況になったのは母親が悪い。母親がにくい。あんなふうに育てられなければ…」というような雑念がよく現れた。
これを読んだ人は、「お前バカだな!(笑)」と笑うかもしれない。
好きだった彼女と別れた原因を「こんな自分に育てた母親が悪い」と思ってしまったり、嫌な仕事をやっていると「好きなことをさせてくれなかった母親」への憎しみがこみ上げてきた。
さらにコレも読んだ人は、お前マザコンかよ!(笑)キモチワル…
と確信するだろう。
しかし、いざ自分のことになると本当に気が付かなくなるのだ。
あなたも自分自身のことを感情を無視してしっかり観察してみると、きっとマザコンであることが判明するだろう。
自分自身で自分のネガティブな部分を直視するのは、包丁で内蔵をえぐられるくらいに痛いので、自分のネガティブの部分を多くの人が隠している。
しかし、感情を取り除いて正思してみることでやっと「自分の収入が途絶えたこと」、「自分と彼女が別れたこと」、「嫌いなことを仕事にしている自分」と「母親の育児」はまったくの無関係であることに気がつける。
生まれた家族を呪ったり、自分の不運を呪っている人は、こういうふうに無関係な因果関係を勝手にこじつけてしまっている可能性が大いにある。
感情が生んでいる「無理な因果関係」に気がつく
たしかに生まれた環境が悪かったかもしれない。それは紛れもない事実である。
しかし、その後の人生の選択、とくに18歳以降の選択は、全て自分に権利があり、自分で選んできたというのも確かな事実だ。
例えば、学校に行きたくなければ行かなければいいし、会社に行きたけくなければいかなければいいのにもかかわらず、朝に自分の意思で靴を履き、玄関を出ているいじょう、どう考えても自分が全ての行動を選んでいることになる。
「学校に行かないと就職できない」と言い訳をしたり、「会社に行かなければ生活できないから仕方なくいく」なんて言い訳をする人がいるが、学校にいかなくても就職できている人は山程いるし、会社にいかなくても生活保護を申請すれば生活できてしまう。
こうした現実を受け入れられず、「親が悪いから。生まれが悪いから。」というのは本当にたちが悪い。
ただ自分の生まれや親にたいしての雑念があると、どうしてもあたかも自分が今不幸であることが、生まれた環境や親にうよって作られたと錯覚してしまうのは確かだ。(多くの人がそう)
雑念には因果関係があるので、しっかりその因果関係を紐解いていくと雑念を消すヒントが見つかる。
因果関係を紐解いていくことで雑念を消すことができる。
瞑想で出てくる雑念をよく観察してみると、その雑念の多くが
- 単なる思い込み(執着)
- 自分の頭の中だけで置きている解釈(妄想)
- 嫉妬からきている八つ当たり(責任転嫁)
だったりすることが多くある。
だけど感情に飲み込まれてしまうと事実よりも
「正しいのは自分で相手が悪い。運の悪い可哀想そうな自分。だから仕方がない。」
のループにハマってしまい雑念は消えるどころが膨らんでいってしまう。
雑念は自分の短所を改善してくれる機会だと思えると、瞑想中に雑念が出てきても嬉しい気持ちになってくる。
雑念を分析するおすすめテクニック2つ
最後に雑念を分析するのに僕が実際にやっているテクニックを2つ紹介する。
僕の場合はこのテクニックに救われて彼女を作れたり、両親との関係を修復できたりしている。
雑念を書き出す
とりあえず雑念は書き出して可視化してみよう。
書いただけで、捨ててしまってもいい。
イメージでしか無い雑念を書いて可視化するだけで、モヤモヤとしていた雑念がハッキリするのでスッキリすることができる。
これは行動心理学でいう「ブレインダンプ」というテクニックであり、実際に効果がある。
正思する(書き出した雑念を感情を排して合理的に観察する)
上記でも説明したが「正思」という概念を利用して、感情ではなく道理的、合理的に考えることで「因果関係」が間違っていたことに気がつくことができる。
例えば次のような雑念がでてきたとする。
「仕事の成果が出なくてつらい。そもそもこの仕事は自分の好きな仕事じゃない。もとはと言えば他の仕事がしたかった。でも親に反対されたため諦めた。今の仕事をしているのは親のせいだ。親がムカつく。」
簡単に言うと、
「仕事の成果が出ない。→親がムカつく。」
という因果関係を自分で作り上げてしまっていることがわかる。
でも道理的に考えてみれば、仕事の成果が出ないのは自分のスキル不足である。
また、自分の好きな仕事ができなかったのは親のせいとしているが、自分が親を説得できなかったということが見えていないことにも気がつく。
どうしても好きな仕事なら親の話などきかずにやればよかったし、親を説得することもできたはずだ。
このことから気がつけるのは、自分の能力の低さを「親に責任転嫁している」という事実だ。
つまり、雑念の根本は「親に責任転嫁する自分の習性」ということに気がつくことができる。
このように雑念の因果関係を正思して因果関係をみなおしてみると自分が間違っていることに気がつける。
【まとめ】雑念が出てきたら書き出して、観察するのがおすすめ
サマタ瞑想のような呼吸瞑想を使えば心の落ち着きを取り戻すことができるので雑念を一時的に消すことができる。
でも、長年チリに積もった執着心や嫉妬心、トラウマなどの雑念は感情によって事実誤認を起こしている事が多い。
自分の間違った考え方、苦しみの根源(雑念の根源)を取り除くきっかけになるので、瞑想中に出てきた雑念は毎回メモにとって、分析すると解消しやすい。
コメント