↑それからさらに3ヶ月が立ち、始めて6ヶ月がたった。
ヴィパッサナー瞑想は悟りを開くための瞑想ということもあり、どんな効果が得られるのか、まったく不明だった。
瞑想とか悟りとか言うと、チャクラが開くとか、なんとなくスピリチュアル的な体験もするのかと思っていたが、6ヶ月たって、まったく予想していた展開へとなってきた。
もちろん『悟る』ということには、とうていたどり着いていないが、実際に真実が見えてくる体験は本当に面白い。
今まで実に自分が自分の妄想の中で生きてきたかがよくわかる。
特に2つの大きな変化があったので、詳しくレポートしていきたい。
常時ヴィパッサナー瞑想が身についてきて、快適な時間の割合が増えてきた。
1つ目は、ヴィパッサナー瞑想が日常化してきたことだ。
僕の場合は、朝に10分やるだけだったのだが、たまにふと気がつくと、ヴィパッサナー瞑想を勝手にしてしまっている。
例えば、
- 仕事中に体が痒くなった時に、手でかく前に「かゆい」と心の中で念じていたり、
- 頭が「カッ!」とした時も、すぐには怒らずに、心のなかで「イライラしている。」と念じては、怒ることが効果的な結果をもたらすのか?と考えたり、
- 飲み物を飲んでいる時に、口にグラスがあたった瞬間から飲みものが口の中に入る瞬間、そして、喉を通る瞬間などを自然と念じてたり、
と、このように行動を起こす前に、頭の中で「観察する、考える」というクッションを挟むようになった。
そのおかげで、終わらない口論やストレスを無限に貯めていくという行動が減ったので、日常生活で快適な時間の割合が増えてきた。
ヴィパッサナー瞑想を続けて6ヶ月、瞑想中以外でも自然とものごとを観察する習慣がついてきた。
しかし、一方で、瞑想をやっている最中は、退屈・苦痛に感じるようになってきていた。
ヴィパッサナー瞑想に「飽き」と「苦痛」を感じだしたてきている。
SEXも食事も同じだけど、同じことの繰り返し、同じ食べ物の繰り返しだと、やがて飽きを感じるようになってくる。
瞑想も同じで、瞑想をやっている時に、前のように気づきを得る回数や瞬間が減ってきて感動する瞬間がすくなくなると、
「なんのためにやっているのだろう?このまま変化を得られず続けるのは辛い。」
となってしまう。
そこで僕は次のような流れで、最終的には、ヴィパッサナー瞑想に再度集中できるようになった。
ヴィパッサナー瞑想をする回数を減らす。
マンネリ、怠慢、そんな言葉も浮かんだので、毎日やっていたのを週3〜4回に減らした。
ただ、瞑想自体はやりたかったので続けた、その結果、
- サマタ瞑想:週3〜4回
- ヴィパッサナー瞑想:週3〜4回
という感じになった。
ヴィパッサナー瞑想をやらない日はサマタ瞑想をするように切り替えた。
その結果、久しぶりにやったサマタ瞑想も新鮮に感じたし、ヴィパッサナー瞑想が新鮮に感じられるようになった。
サマタ瞑想に戻してよかったことは、呼吸の重要性をあらためて体感できたことだと思う。
ヴィパッサナー瞑想をやっていると、どうしても意識が呼吸から離れる回数が多くなり、リラックスすることを忘れがちになる。
ヴィパッサナー瞑想に、また集中できるようになるも…
ヴィパッサナー瞑想の回数を減らした結果、再び集中して取り組めるようになった。
ただし、以前よりも自分が外部の刺激(特に聴覚と、触覚)について、すごく敏感になっており、高速で世界が動いているように感じて、それについていくのが苦痛に感じるようになっていた。
コレは、最初にヴィパッサナー瞑想をやった時の感覚に似ている。
感じるもの全てに反応をしてしまい、とても疲れると言った感じで、ちょっとした壁に突き当たった感じだ。
しかし、すぐにまたマンネリ化してしまったので、困ったものだ、と思った。
ということで、これは、よくないなと思って、上級者用の本を買ってみた。
ヴィパッサナー瞑想の上級者用を読んで見る
読んでみて、一番最初に良かったと思うことは、まさに「退屈している状況」や「進捗しない状況」について、どうやって対処すればいいか、書かれていたことだ。
簡単に言うと、「不快や不安もしっかりと直視して、そのことについて念じる。」ということだけだ。
これが良かった点は、自分のおかれている現状や、ふだん、どれだけ自分の感情を無視している、隠そうとしている、ということに気がつけたことだと思う。
退屈に感じたり、苦痛に感じると、気分が憂鬱になってくるので、どうしても今すぐ状況から脱却したいと思うし、行動も脱却する方法へと走っていきがちである。
でも、その退屈・苦痛な現状がなぜ起きているのか、よく観察することで、新しい世界が見えてくる。
すると、僕が感じていた「退屈やマンネリ化というのは、進捗しているから感じている苦痛であり、決してネガティブなものではない」と感じる事が出きった。
例えば、「鍛錬」や「訓練」というのはやっていれば苦痛を感じることもあるが、やっていなけれ苦痛は感じないのである。
苦痛が自分にとってプラスになる苦痛なのか、それともマイナスになる苦痛なのかによって、対処する方法も変わってくるからだ。
鍛錬のような自分が成長している時に感じるプラスになる苦痛は、現状を打破するためには必要なものになる。
逆にマイナスな苦痛に対して、無理して我慢すのはやっぱりよくないし、そのまま放置しておいてはいけないだろう。
それから読み続けていくと、書かれている内容が、
渡疑清浄(とぎしょうじょう):過去、未来、あるいは現在において、自分が存在することに関する疑いが解ける。
道非道智見清浄(どうひどうちけんしょうじょう):正しい修行法であるか、それとも誤った道であるか判断する
行道智見清浄(ぎょうどうちけんしょうじょう):正しい修行の過程を知る。
などの難しい言葉が並んできたので、そっと閉じて、最初の初級編を読むことにした。
徐々にハードル上げていこうと決心した。
初級編を読み直す。
ということで、こっちの初級編を再読。
内容がわかりやすいし、以前よりもすっと読み込むことができた。
結論としては、初心に戻れてよかった思う。
上級編の内容はとても大切なことであり、ヴィパッサナー瞑想を進めていくには通らないといけない内容だと思うが、これは1年後くらいにもう一度読んでみようと思う。
そして、現在は…「呼吸することに意識が戻った」
そして、今はまた、最初に瞑想をしたころのように、呼吸に意識を集中させることに戻ってきている。
最初の方にも記事で書いたが、呼吸をしっかりできるようになると、脳や身体に酸素がじんわりと回っている感覚になり気持ちよくなる。
詳しくはこの記事で↓
とても心地よく、リラックスできる状態になる。
そして、瞑想を最初にした時も、この心地よさがよくてやっていたなぁと思い、マンネリ化も消えていった。
改めて自分の昔の記事を読んでみても、すっと腑に落ちてくる。
そして、初心に戻れてよかった。
ただ、前と少し違うのは、デキている部分とデキていない部分を把握できたので、より細かいところまで意識がいくようになったし、どんどん進捗している自分にたいしても気持ちよくなってくる。
【まとめ】上級編に挑戦することで、自分の現在地を把握できるし、初心に戻れてよかった。
↑この一言に尽きる。
習慣化できてくることはいいことだが、それと一緒に慣れも出てくる。
人間は変化量を求める生き物のなので、慣れてマンネリ化してしまうと、気分が憂鬱になってくる。
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