瞑想を始めてから数ヶ月。
僕が初めて瞑想(メディテーション)を身近に感じた体験談↓
以前は集中して瞑想できていたのに「なんだか心がそわそわして落ち着かない」、「瞑想をすることが極度のストレスである」と感じるようになっていた。
心を落ち着かせるために瞑想をするのであるが、全然落ち着かないのだ。
集中しようとすればするほど、心が落ち着かないことに集中してしまいイライラしてしまう。
もしかしたら、こんな体験をあなたも、したことあるのではないだろうか?
僕はこの問題を3つのアプローチで解決したので、もしあなたもそのように感じているのであれば参考になるかもしれないのでシェアしたい。
瞑想に集中できなくなった4つの理由を考察
僕が瞑想をやりたくない、そう感じた時を観察したら大きく分けて4つあった。
そして、瞑想をやりたくないと思った時ほど結果的にそうやって良かったと言うことが多かったことも報告しておきたい。
すごく疲れている
すごく疲れていると、姿勢を保つことも大変で全く瞑想する気分にならなくなる。
主に深夜まで作業を続けていて寝不足だったり、深夜まで誰かと飲んでいて頭痛がするなどが原因の場合が多い。
こんな瞑想をできる状態では無いのだから、他の仕事や重要な用事などを済ませる集中力があるわけがない。
しかし、こんな時だからこそ瞑想をして心と体をマイナスの状態だからフラットの状態に引き上げる必要がある。
この、疲れた状態の時に行う瞑想方法も最後に紹介してあるので、ぜひ参考にしてほしい。
瞑想のハードルが一気に下がり、ますます瞑想をやりたくなってしまうきっかけになるだろう。
「よくないナニカ」が心に引っかかっている
ときには習慣となっている瞑想を忘れるほど心がセカセカしていたり、何かに集中しようとしているのに全く集中できていないフワフワした状態、またはイライラした状態の時がある。
こんな時ほど、「瞑想している時間がない」、「瞑想やってる場合じゃない」と思ってしまうのだが、結論から言えば必要なのは瞑想して心をフラットにさせることだ↓
心がそわそわしているので、時間がないから早くしないとと思ってしまう。
しかし、この場合は瞑想をすることで、落ち着いて考えられるので、結果的に少ない時間で集中し、欲しい結果が得られるようになる。
心の動きが速くなっていると、瞑想を回避したくなることがよくあった。もちろんこれもしっかりと対処法がある。
不快な環境で瞑想しようとしてしまっている
瞑想を続けていくと、できるだけ静かで刺激の少ないところでやりたくなってくる。
騒音、眩しい光、暑い日差し、こういった刺激が加わってしまうと、どうしても瞑想に集中できなくなる。
また、暑い場合は、瞑想中に汗がダラダラたれてくるので、その影響で肌にかゆみを感じて不快感となる。
環境が悪いと瞑想に集中できない。
余裕ができて慣れてきた、飽きてきた、過信し出した
最後は徐々に慣れてきて、マンネリ化してきてしまったことにある。
このときの心理状況としては「このまま瞑想しても意味あるのだろうか?」、「何かやり方を間違っているのではないか?」と言う感じだ。
もちろん、瞑想を続けて数ヶ月の初心者である僕が、瞑想をマスターできたから「瞑想に慣れてきた」と言うわけではない。
こうなってくると、「何かが間違っている?」と言う思考の迷路にはまり、試行錯誤して苦戦することになるのだが、これはとてもシンプルな方法で解決できる。
試行錯誤する前にこの後紹介する僕が行ったアプローチをまずは参考にしたら、早く問題を解決できるだろう。
僕も瞑想を続けて瞑想に集中できないと言う時が続きようになった。
そこで行ったのは違う瞑想法を試すと言うものである。
人間は「飽き」感じ始めると、最終的には「やめたい衝動」に襲われる動物である
これはいろいろな心理学で説明されていることなんだが、まずは少し自分のことを観察してみよう。
- 毎日同じものを食べると飽きて食べたくなくなる。
- 毎日同じ洋服を着ると飽きて、新しい洋服が欲しくなる。
- 毎日同じ人とセックスをするとマンネリ化を感じる。
こにように人間が慣れてくると退屈をして回避行動をとることがわかる。
この慣れてしまうメカニズムを心理学では「心的飽和」と呼ばれている。
「飽きる」と言う言葉の意味から、心的飽和はネガティブなイメージを持っているかもしれないが、この心的飽和にはメリットもあり、
- 習慣ができている。
- 緊張せずに取り組めるようになった。
- 当たり前にこなせるようになった。
とも言える。
つまり、心的飽和は習慣を獲得できた状態とも捉えることができるのだ。
思い返してみれば瞑想をやる最初の頃は、
- やり方がわからないし、失敗するのが怖い
- やりたくないと言う衝動に駆られる時がある
- 自分の生活習慣が崩れると取り組めない
という状態だったに違いない。
そこから比べたら確実に進歩しているのだ。
しかし、この心的飽和をむかえている状態、つまり、飽きている状態を持続させるのは良くない。
なぜならば、これがやめると言う挫折を味わう原因になるからだ。
なので、この飽きを感じたり、効果を感じられなくなったと言う状況を把握できている事は挫折を回避するためにはとても重要な気づきだと言えるだろう。
何も考えていない人は、「効果がない=意味がない」と言うことで諦めてしまうことになるだろう。
しかし、このブログを読んでいる人は間違いなく向上心が高い人であり、もっと良くなるにはどうしたらいいか、と言うことをに悩んでいるはずである。
挫折はなんとしても回避したいはずだ。
なので、心的飽和の原因を解決する方法をシェアする前に、もう少し正確に自分の現状を把握すると同じ落とし穴に担当を教えられなくて済むようになるだろう。
その前に、まずは自分の現状をしっかり評価しよう。
何でもそうだが原因に対して間違った解決策でアプローチしても全く効果は上がらない。
骨折をしているのに、捻挫と同じ治療方法は良くないだろうし、お腹が痛いのに頭痛薬を飲むというの効果が期待できないだろう。
あなたが「瞑想の効果を感じられなくなった」と言う問題を抱えていたとしても、最初に紹介したような4つの原因をしっかり把握してない限り、どのような解決策があっているかと言うのを見つけることができない。
これは何度も失敗を繰り返すことになるので、途中で諦めてしまう原因または挫折する原因となってしまう。
なので自分に合った「解決方法」を見つけるためにもしっかりと、自分の現状(根本的な問題)を把握し評価することが重要だ。
少し付け加えると、特に日本人の場合は性格が謙虚であるため「私はまだまだ」と思う人が多い。
これは謙虚することが美徳であると考えられていたり、根本的には「道の精神」(自分はまだ修行中ですと言う考え方)や「初心忘れるべからず」という言葉が一般化しているので、ときにはこれが自分を過小評価してしまうことにつながる。
過小評価していると言うのはつまり自分を正しく評価できていないのだ。
例えば、飽きが来ている状態(心的飽和状態)であるにもかかわらず「まだ私には瞑想が足りないだけ」と効果を感じない方法でずっと瞑想をするのはあまり良いとは言えないだろう。
また他にも最初に説明したように瞑想に集中できない根本的な理由は慣れではなく、睡眠不足や栄養不足による疲れが原因であるかもしれない。
にもかかわらず休息して疲れた体や脳を回復させることなく、気合や根性、努力、栄養ドリンク、カフェインたっぷりのブラックコーヒーで乗り切ろうとしているかもしれない。
↑よくいるサラリーマンゾンビ
そんなに疲れている時にもっと難しい瞑想方法を試したり、細かい瞑想の作法に注意をしてしまってはそれこそ嫌になってしまうのは、目に見えている。
だからこそ、今のあなたの現状とそれに頭で効果的な方法を行うために、しっかりと評価することが重要である。
ただ評価するといっても、何を基準に評価したらいい?、となってしまうだろう。
僕の場合はあることをきっかけに以下のような基準(瞑想をやる意味)を作り出した。
「瞑想は快適になるため。苦痛になったら何か見直すひつようがある」という基準がある。
僕の瞑想をする目的は「快適になるため」と言うふうに基準を設定している。
星瞑想をする上で不快を感じていたらこれは何か間違っていると言うことに気がつけるからだ。
ちなみに人間は「快適感情」を求めて行動するように脳や体がプログラミングされている。
快適感情は人間が遺伝子を残すためにセックスをするのは快感と言う刺激を求めるようにできていることもそうだし、不衛生な場所よりも清潔で快適な場所を住処として選ぶと言う習性からもよくわかるように、人間の基本的な欲求として備わっていることもわかる。
だから瞑想=快適と言う基準を作ることで、
- なぜかなかなか瞑想に入れない
- 瞑想したくないと思っている
- 瞑想している時間はないと思っている
と言う瞑想に対してネガティブな感情が沸いた時は自分の中で何かを見直さなければいけないと判断することができる。
体がだるかったり眠かったりして瞑想したくない時は疲れているから回復させることを優先させようとか、心がそわそわしたり落ち着いけないと感じた時は、こんな時ほど瞑想が大切だと思うようになっている。
このように瞑想をする目的や意味付けをしておくと自分の体調や感情の良し悪しが判断できるようになる。
そしてしっかり観察することで何が必要か何をするべきかというのを自分で導き出すことができるようになる。
どんなすごい人に有効なアドバイスを聞くよりも、これがとても大切だと思う。
僕が行った4つのアプローチ
それでは最後に僕が行った3つのアプローチを紹介したい。
読めば今からでも実践できるのでぜひ試してほしい。
体が疲れている、不調な時は寝ながら瞑想する
寝不足の時は、背筋を伸ばすことすらも大変に感じることがある。
瞑想するのが苦痛になり瞑想をなかなか始められない、と言う状況だ。
この時ある人からたまたまシャバーナ瞑想(屍のポーズ)と言う音ながらでも瞑想できると言う方法があることを知り試してみた。
そしたら効果的面で、ちょっと10分になっただけで寝不足で受けていた体のだるさや頭の重さがすっきり解消されて、熟睡しすっきり目覚めた気持ちいい朝のような気分を味わえた。
瞑想をやれば気持ちよくなるのはわかってるのに体が疲れていてできない(頭痛や熱っぽい時の時も)は寝ながらでも瞑想をやっているということを知っていると瞑想を続けやすくなるだろう。
「起きた後も、寝る前も」初心者が寝ながら瞑想するメリット3つをゴリ押しする理由>
心がそわそわしていると感じた時は、仏教関係の本を読む
瞑想をすると心がフラットになり、悪い気分を引きずらずに仕事ができると言うメリットを体験できたから、仕事前に瞑想をすることにしていた。
しかし、瞑想をする人や、座禅をする仏教の考えと言うのを全く知らずにやっていた。
仏教系の本を読むことで、瞑想をする意味や理由について知ることができるので、より深い瞑想するためには効果的だと思う。
僕の場合は仏教において「快」と言う感情をしっかり認めてあげる事は重要であるということをダライ・ラマの本を読んで知り、このことがきっかけで瞑想やモーニングルーティーンをやる理由を作れた。
僕の中で快楽はいけないものだと言う教えを受けたことがあるので街を求めてはいけないと思い込んでいた。
しかし結局、人間は快適を求めればモチベーションを使わなくても自然にパフォーマンスが上がっていくことを実感できたし、いかに快適な環境を作るかについて考えることができた。
仏教系の本は瞑想と深い関わりがあり、することで心が普段から安定したり瞑想の恩恵を受けるにはとても有効であると思う。
はじめに読むであればこの「ビギナーズマインド」と言う本は不況になじみのない外国人にもわかるように「禅」について説明がされているので分かりやすいと思う。
瞑想する環境をしっかり整える
まず、「瞑想」は苦行じゃない。
ブッダも苦行を全否定しているが、耐えられないほどの苦しみをや不快を感じながらやる必要はないのだ。
こういう考えに基づけば、わざわざ不快な環境で瞑想をする必要なないし、むしろ瞑想の質を高めるためにも快適な環境で瞑想したほうがいいことにも気がつける。
自分にとって快適な瞑想環境を整えよう。
これができると、仕事場や人間関係もすでに快適な状況を作り出して、自分の最大限のパフォーマンスをはっきできるようになってくる。
何か瞑想が簡単にできてしまうと感じた時は、高度な瞑想にチャレンジする
僕が最終的に行った方法としては、慈悲の瞑想、ヴィパッサナー瞑想、姿勢をもっと作法に近づける等を行った、そしてこれは瞑想を習慣化させるためにとても効果的だった。
心的飽和状態になった時とも言えるのだが、新しい方法は異なったストレスや刺激を加えることで、慣れていると言う思い込みを壊すことに便利である。
あなたが瞑想を始める前もそうだったと思うが、新しいことや難しいことにチャレンジしようとすると、
- 失敗するのが怖くなったり、
- 正しくできているかどうかばかりが気になり、
- 行動に移すことが難しくなる。
しかし、このことに気がついてればハードルを上げることにより、マンネリは解消できるし、これが常に人生を良くするための方法であると気がつけるし、自分に勇気を与えることができる。
僕の場合は、6ヶ月ぐらい経ったあたりで慢性的ななりに襲われようになり、しんどくなったのでヴィパッサナー瞑想と言うのを試してみた。
結果的にものすごく良かったし、心を安定させることに加えて、より多くのアイデアや客観的な思考を得ることができた。
なので個人的には瞑想に麻生であればヴィパッサナー瞑想をおすすめしたい。
ヤバイくらい感覚が研ぎ澄まされる。初心者が3ヶ月ヴィパッサナー瞑想を実践したメリットと感じた効果10こ>
【まとめ】「瞑想の効果を感じなくなった」と、気づけたことが大きなステップ
瞑想やるからには何かしらの効果や恩恵を受けたいと言うのはただ母が思うことだと思う。
だからこそ効果を感じられないと思っていちど立ち止まる事はとても重要であるし、自分の心に対峙することは重要である。
なぜならば、多くの人が自分の心を無視して結果的に自分を消耗しすぎて多いような人生を送っていないと感じるから。
自分に正直である事は、自分の問題にいち早く築けるし、またその問題に対しての対策を素早く考えることができる。
瞑想の効果が感じられなくなったと言うのはこういった自分の気がついてない問題に対峙する良い機会であると個人的には思っている。
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